手元に手繰り寄せる猿かな:【パレスチナから来た少女】大石 直紀 | 対内言語と、対外言語と!

手元に手繰り寄せる猿かな:【パレスチナから来た少女】大石 直紀

著者: 大石 直紀
タイトル: パレスチナから来た少女


 パレスチナ難民キャンプで起こった虐殺事件にかくされた謎とは。私怨の女テロリストが日本の地を踏んだとき、中東を巡る妖しく危険なゲームがスタートする。第2回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。


 日本人は「こういうもの」好きです。
 大分前、テレビ・ドラマで中山千夏出演の題名は忘れてしまったが、「沖縄から来たお手伝いさん」「北海道から来たお手伝いさん」が彼女の役柄……地方から中央へ、中央での沖縄・アイヌ人への偏見と戦いながら……そして、「私達にも悪いところがあったわね~」「分かってくれたら良いのよ。同じ日本人よ~」オヨヨヨヨ~の「さあ~泣いて~」と言わんばかりの三流ドラマ。
『パレスチナから来た少女』もその「何処其処から来た少女」の祖型を外れてはいない。この本は『パレスチナ 難民キャンプの瓦礫の中で』(広河隆一 草思社 1998)のルポルタージュを小説化したものである。(広河隆一には後に『パレスチナ 瓦礫の中のこどもたち』(徳間文庫,2001)という本も著している)
 大石氏は”あとがき”で次のように語っている。
『……作中に出てくるベイルートでの立花俊也(主人公)の動きは、フォト・ジャーナリスト広河隆一氏をモデルに描きました(略)』
 
 二人とも何かを伝えようとする気持ちがあるのはわかる。しかし、そうであるなら事実認定のみはきちんと行なってほしい。特に歴史的認識不足は否めない。
 まず冒頭で大石氏は次のようにパレスチナ人を規定している。
『本文中に出て来る「アラブ人」とは、中東から北アフリカ一帯で暮らしている「アラブ民族」のことであり、「パレスチナ人(あるいはパレスチナアラブ人)」とは「パレスチナ」と呼ばれている地域に自分のルーツを持っているアラブ人のことを指します』と。大いなる間違いである。アラブ人への指摘は次の機会に語ることにする。

 ルーツとは「血統証」的に解するが、彼等「パレスチナ人」の血統証的系譜を追って見よう。古代「パレスチナ」と呼ばれている地域に住んでいたのは、ギリシアの北方から侵入して来た民族「ペリシテ人」である。彼らの本来の居住地はどこだったのか。現在でも明らかにはされたはいない。唯人種的には「白人」であるとされている。
 彼等はペリシテ人からギリシアに変わり、次いでローマ人となり、次にビザンティンのキリスト教徒に変わって、今ではイスラム教徒アラブ人である人もいる。
 シナイ半島の聖カタリナ僧院と関係を持つベドウィンはアラブ人ではない。彼らは血統証的にはルーマニア人である。ユスティニヌス帝が聖カタリナ僧院を建てるとき、建設用奴隷として多くのルーマニア人をこの地に送った。そして建設終了後、彼らは僧院の契約牧畜民となり、パンの支給を受ける代わりに畜産品を僧院に提供しつつ、同時に労務も提供していた。
 やがてイスラムの侵入があったが、この僧院の中だけは大海原の孤島の”ギリシア正教圏”であり得た。しかし、周囲はことごとくイスラム化しアラブ化し、このルーマニア人たちもその中に埋没して、今では分からなくなっている。
 
 かつて全パレスチナ人を直接間接に支配していたペリシテ人は、現在存在しない。彼らは跡形も無くこの地上から消えてしまった。『聖書考古学』(新生堂版)に「テガ・ガワラのパレスチナ人」という言葉が出て来る。この言葉の意味は「パレスティネンシス」の訳語である。つまり、ネアンデルタール人、北京原人と同じ意味で「パレスチナ原人」という意味である。この言葉をその原意通りに使えば「ペリシテの地に住む人」乃至は「シリア・パレスチナ州に住む人」の意味である。 
 従って大石氏の語る『「パレスチナ人(あるいはパレスチナアラブ人)」とは「パレスチナ」と呼ばれている地域に自分のルーツを持っているアラブ人のことを指します
』とされる民族は、過去にも現在にも存在したことはない。
 つまり氏の述べるような「パレスチナ人」は存在したことなどないことである。存在したのは、三千年前に、大石の述べる『「「パレスチナ」と呼ばれている地域』の南を占拠したペリシテ人なる民族がいて、パレスチナ人とはそれと関連する名だということだけである。しかも大石氏使う「パレスチナ人」なる言葉には「ペリシテ人の血統証的子孫」という意味はなく、そういう一つの歴史をもつ言葉として、この言葉を把握しているのでもない。
 日本人であるならば、聖書の民ではないから、それで通用するだろう、しかし聖書の民、ヨーロッパ人には通用しないだろう。彼らにとって、ユダヤ人が存在するが如くパレスチナ人も存在する。しかしそれは”血統証”的な意味ではない。ましてや地域的な意味としてでもない。存在するのは「パレスチナ人」という意識である。その意識はまだ百年にも満たない。正確に言えば、その意識とその語の現代的意味はだが。しかしそれは存在する。三千年近く変わらずに存続しているのである。
 この意識を無視、乃至は”意識できない”のであれば、それは始めから何の意味もない。何の解決も招来しない。残念ながら、『……パレスチナはじめ、中東はいまだに混沌とした状況の中にあります。一日も早く中東に本当の平和が訪れること。本書の主人公の一人である沙也と同じように、僕もそのことを願わずにはいられません』(本書・あとがき)とする願いは、永遠に叶えられず、その願いは具体的な行動への提案材料ともならない。

 その意味で「中東を見る」一つの資料としては「下らない」ものの一つである。しかし、それは小説への評価とは別である。特に、閉鎖的「仲間内文学」で暮らしていける文壇とそれが相手する読者向けの物語としては、十分に及第点に達している作品ではあろう。


 この本には語りたい箇所が幾つもある。それは勿論作品への感動とは異なる。それはまたの機会に!


受賞者略歴:

  1958年4月27日静岡県島田市生まれ。
 関西大学文学部史学科卒業。
 大学卒業後、大阪にてフリーアナウンサー。その後、北海道の牧場にて牧夫。塾講師、冷凍庫作業員など、様々な職業を転々としながら、延べ5年半にわたり、世界約50カ国を旅する。1993年~1994年にかけて、スウェーデン国立ヨテボリ大学日本語補助教員。
 現在、フリーライター。

 選考委員: 内田康夫、北方謙三、西村京太郎、森村誠一