”ちょっとだけ”の創造性!:【ポピュラー音楽をつくる】 ジェイソン・トインビー | 対内言語と、対外言語と!

”ちょっとだけ”の創造性!:【ポピュラー音楽をつくる】 ジェイソン・トインビー

著者: ジェイソン・トインビー, 安田 昌弘
タイトル: ポピュラー音楽をつくる―ミュージシャン・創造性・制度
  ポップス界では毎日が新作ラッシュである。アメリカを発信基地とする宣伝や売り込みは、ますます派手派手になっている。ショップは多様で細分化されたポップス音楽の大きなコーナーがフロアー占めている。そこには若者を中心に多くの人が群がっている。地球を始めて訪れる宇宙人にですら、その音楽が地球の消費社会代表的ジャンルであることがわかる賑わいを見せている。
 この産業は巨大である。そのことは、ファイル交換やCDのコピー等の横行に歯止めを掛け様と音楽著作権が議論の的になっていることでも知れる。
 だが案外、このポピュラー音楽産業の実態は知られているとは言い難い。著作権と関係するのだが、それでは音楽創造の現場では、「過去の曲の剽窃紛い」のことをどう思っているのか、聴き手はこの音楽ジャンルに何を求めているのだろうか。
 本書【ポピュラー音楽をつくる】では、ポピュラー音楽の様々な美学や様式の変遷を緻密に分析している。そうして、これら具体的な問題の考察を、社会学的に追求している。
 実際、ポップ音楽は「剽窃とのギリギリ境界で成立する音楽」であり、その創造の場に踏み込んだ論考などは、この音楽ジャンルを研究する立場の人には、深い関心を呼ぶはずである。勿論、愛好者にも、この産業に関わる人にもである。
 私は文字通り「ロック世代」である。ビートルズが世界に登場した年に近く生まれた。だからポップ音楽は空気のようなものである。「ポップ音楽とは何ぞや」と意識したことはない。年を経て、ポップやロック音楽以外のジャンルも聴く様になって、はじめて、クラシックとロック音楽とは、どこがそう違い、またそれを成立させている社会の違いは何なのかに関心を持つようになった。しかし適当な研究書は今まで無かった。
 ロックの時代といえば「若者文化が初登場した時代」であり、しかもその「若者文化が世界をリード」し始めた時代の音楽として、無批判に参照するに止まっていた。
 だがこの書では、その時代を「特異数十年」と見なしている。1930年にスィング・ジャズと現在のクラブ・シーンに通低する《踊る身体》に着目するなど、様々な視点が提出されている。
 またロック、ジャズ、ブラックミュージック、ダンス音楽、ワールドミュージック、クラブミュージック、ハードコア、アヴァン・ギャルド他、其々のジャンルの愛好家に新たな発見を約束いsてくれるであろう本書である。最新のハウス、テクノ、クラブ・シーンへの考察も極めて秀逸であり、「ターンテーブルでの競演」を「少しだけ創造する」と評していることには肯ける。
 最も「創造」に関してはジャズもクラシック音楽と比較されて、「リズムの繰り返しで創造性の欠片もない」と酷評する評論家もいる。だが、そのことは別にそおいうジャンルの音楽が「聴くに耐えない」ということを意味するものではないだろう。私は年甲斐もなく”エムネム”が好きで、というよりラッパーで唯一好んで聴くミュージシャンが彼である。「どこがいい」と問われても、そのことを真剣に考えたことはないので、「ただ感覚が合う」としか答えようがないが。その彼のは【8Mile】という主演映画がある。その映画でのシーンで、彼が歌う後ろでのターンテーブル操作を見てると、「やはり少しだけの創造」であることを実感する。日常の不満や出来事、その中から生まれてくる絶望や希望を、即興で人に伝える。ロッシーニ(イタリアのオペラ作曲家)のようの楽屋裏に缶詰にされて、「脳髄を絞って創造する」生活、それを観衆とは、ポップのミュージシャンやそれの観衆とは異なることは明らかである。
 この本は、そういうポップ新世紀における音楽の可能性と危機を論じた必読書である。尚、巻末には訳者によって著書インタビュー「ポップの新しい世紀に向けて」が付されている。