21世紀の感覚器障害者 | 対内言語と、対外言語と!

21世紀の感覚器障害者

 彼等沖縄人の感覚の異常さは、騒音を「騒音」という概念で語るのではなく、「米軍施設の騒音」と「騒音」とは異なるものとする恣意を大前提にしていることだ。これは科学的であるはずの医者や研究者などにも言え、彼等は肩書としては「科学関係者」なのであるが、その実体は「米軍悪魔主義的宗教家」である。
 
 
 
<2005年2月20日> 
[遠のく司法・「新嘉手納」判決を終えて](3)/否定された健康被害/「科学的立証」に法の壁/結論ありきの疑念残す

 新嘉手納爆音訴訟で、住民側が最大の争点と位置づけた健康被害と爆音の因果関係で那覇地裁沖縄支部は十分な中身の検討をしないまま切り捨てた。

 判決は、騒音性難聴の因果関係を肯定した県調査(一九九九年)を「公衆衛生学の観点の政策的判断であり、法的な因果関係とは異なる」と指摘。だが、何が「法的因果関係」で、どう異なっているのか、明確に示さなかった。

 専門家は「いくら調査しても駄目というに等しい。物事を科学的に考えようとする態度ではない」と、疫学調査自体が裁判にそぐわないと取れる論理を疑問視する。

 嘉手納爆音訴訟は損害賠償の請求も入るが、原告の本質的な目標は「静かな夜」を取り戻すことだ。受忍限度を超えた爆音の違法性を認めても過去分の賠償で済まされ、むしろ騒音が増す中で抜本的な解決を望む住民の悲願といえる。健康被害を認定するかどうかは夜間・早朝の飛行差し止めにつながる重要な鍵だった。

 確定した九八年の旧訴控訴審は健康被害を「疑いは否定できない」としながらも「断定はできない」と退けた。このため、住民側は健康被害を具体的に示すことを"宿題"と受け止め、全国の基地騒音訴訟で初めて原告四人を個別に立証した。

 法廷では、四人が生まれてから現在までの職業や住居、趣味をすべて語ったが、判決は実現困難なさらなる立証を求める形で退けた。弁護団の神谷誠人弁護士は「過去に騒音を受けた歴史をすべて明らかにすることは不可能に近い」と批判した。

 四人を診察して証言台にも立った県立中部病院の與座朝義耳鼻咽喉科部長も首をかしげる。「説明しても認めたくない側は『百パーセントではない』と言えばいいことになる。法的因果関係という説明も意味不明」と指摘する。

 象徴的だったのは県調査が明らかにした「低体重児出生率と幼児の問題行動」での判断だ。

「原告らに共通する精神的苦痛を基礎づける事実と主張する限りにおいては主張自体が失当」と述べ、内容も検討しなかった。

 つまり、被害を受けた子供が原告でなく、五千五百四十一人に共通の被害とはいえないから判断の必要がないということだ。至る所でこの姿勢が貫かれた。

 県調査の四人に関する部分で一定程度の信用性を認めつつも「法的な因果関係とは異なる」とした判決。飛行差し止めや健康被害の因果関係を認めない結論が先にあった、というのが原告側の共通認識だ。

 松井忠義弁護士は「法的な因果関係」を「公衆衛生学の観点」より、厳密であるかのような表現をしたことに異議を唱える。「誤解を恐れずに言うと法的因果関係とは、結果責任をどこに負わせるかという判断。むしろ科学的判断よりも厳密ではないはずだ」と論理の矛盾を指摘した。

 原告団は控訴を決めている。神谷弁護士は言う。「この判決は高裁でひっくり返さないといけないし、必ずひっくり返せる」

(社会部・溝井洋輔)

 
<2005年2月21日>
[遠のく司法・「新嘉手納」判決を終えて](4)/個別立証/私生活公表も届かず/過重な負担 原告苦悩

 新嘉手納爆音訴訟で那覇地裁沖縄支部が、個別立証した原告四人の騒音性聴力損失と爆音の因果関係を否定した判断と、その理由付けに原告・弁護団からは強い批判と疑念の声が上がっている。

 四人は居住歴や職業歴のほか、カラオケなど音とかかわる趣味の有無までも「犠牲的精神」(弁護団)でさらけ出していた。その一人伊礼勇さん(66)=北谷町砂辺=は重い口を開き「残念の一言」と苦しい胸の内を明かす。

「航空機騒音にさらされ続けているという前提条件が認められることが必要」

 医学的な診断に加え、法廷で被害の実態を訴えた原告四人に対する同支部の判断は、実現が困難ともいえるさらなる過大な立証責任を要求する内容だった。

 因果関係では「それぞれの事情によって、騒音の程度が減る可能性が十分にある」と、その他要因の可能性を理由に地域ごとに判断する必要性を否定。四人についても「相当高い航空機騒音に常時さらされている事実を認めることはできない」とした。

 四人は男性三人と女性一人。いずれも嘉手納基地に離着陸する米軍機の飛行ルート直下にあたる北谷町砂辺に住む。老齢の影響など他要因と複合した疑いを除いたごく一部だ。

 同土地に住んで四十八年になる伊礼さんは日常的な爆音で特に高音の聴力を損失する騒音性難聴と診断された。室内や車内など密室に入ると耳の中に綿を詰めたような圧迫感を感じる。

「砂辺は親の代から生まれ育った場所。子や孫たちの将来のためにも爆音を絶対になくしてほしい」。法廷に立つことを初めはためらったが、爆音の軽減のために何とかしなければ、と引き受けた。

 法廷では自らの半生をさらけ出した。基地から派生する爆音以外に大きい音を聞いた可能性の有無を執拗に聞かれた。騒音性難聴になるほかの可能性が「ない」ことを証明する作業だった。

 二〇〇三年の現場検証では自宅で爆音を録音したテープを裁判官に聞かせた。

「キーン、ゴゴゴー。"今日は一月二十五日、夕方の五時二十分。今日もジェット機が離着陸を繰り返し、上空を旋回飛行しています"」。スピーカーもふるわせる爆音。合間には、伊礼さんの声が入る。

「本当の爆音はこんなものじゃない」と思いつつも、砂辺に住む人以外には、分かってもらえない、と録り始めた。「賠償金が欲しいとは思わない。ただ、静かな夜を返してほしいだけ…」。だが、その願いは届かなかった。

「判決の結果は大変残念の一言」と重い口を開いた伊礼さん。「後は若い人に任せたいという気持ちです」と言葉少なに語った。(社会部・溝井洋輔、中部支社・与儀武秀)

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 砂辺の住んだ経験がないので、実体がどの程度のものであるか知らない。だが、県の測定対象地域にあり、その測定器が実家の斜め向かい10mにあり、それが地元マスコミのいう「航空機騒音」のすべてであるならば、マスコミが報道する事実は存在しないが、報道しないものは存在しないという事実ならば存在する。

 「相当高い航空機騒音に常時さらされている事実を認めることはできない」とする判決の是非については問わない。しかし、その判決が、宜野湾市野嵩に適用されるとするなら、その通りである。

 数秒間、上空を通過するだけの航空機であり、しかも航空機は米軍だけとは限らず、しかし、米軍の航空機は多いといいうのが事実である。従って私はこの野嵩に通算30年程住んでいるが「騒音」と感じたことなど一度もない。通過音としてのみ感じている。

 しかしエイサーのあの大太鼓数個の音を、例年5月から8月までの四ヶ月間、19時から23時までドンドンと叩かれるのは、航空機の通過音レベルではない。