対内言語と、対外言語と! -63ページ目

開館20年鴎外記念館:ベルリンに「鴎外」の巨大文字 

森 鴎外
舞姫 集英社文庫

「鴎外」の文字




 ドイツの首都ベルリン中心部に、「舞姫」などの作品で知られる作家で医師の森鴎外(1862~1922)が、1884年から約4年間のドイツ留学中、一時下宿した建物が記念館として残されている。 

訪独100周年の84年に地元フンボルト大学日本文化研究センターが記念館として整備した。直筆の手紙や滞在中に読んだ本などゆかりの品々が展示されている。  

昨年10月、開館20周年と建物の全面改装に合わせて墨書を募った。だが、街の景観を重視するドイツでは巨大広告や看板が規制されることがある。だが、この企画は承認された。  

ベルリン市

「異文化を受け入れ、国際交流を続けてきた街の歴史にも合う」  


約150枚が日独を中心に集まった。そのなかから、埼玉県に住む吉見松香さん(60)の作品が選ばれた。  

クラウス・クラハト館長 

「バランスが良く、建物にも合う」  


現在、森鴎外記念館の外壁には『”鴎外”の文字』(縦5メートル、横3.6メートル)が描かれ、人目を引いている。 


クラウス・クラハト館長

「墨書をきっかけに大勢の人が記念館を訪れ、鴎外の生涯とベルリンの歴史に興味を持って欲しい」  


クラウス・クラハト館長

「壁面の墨書は半永久的に保存します」 

お気に入りは、カタログとPCの中に!

 沖縄に住んでいるが、お気に入りの本屋はない。そのため専ら「宅配」である。今のところ”お気に入り”の本屋(!?)は、カタログの中か、PCの中にある。冊数も多いし、以前よりはるかにレビューアーも増えているので、本屋に行って手に取った本が「私にとって大切な本になった」とすることを経験できないとする悔みも少なくなった。また沖縄には「本屋がない」といえる情況である。従って、それだけ置かれている本は「在り来たりのベストセラー本」であり、公共図書館の収集する図書との違いが明確ではない。そうなので、悔みは、まあ、ないと言っていい。
 私のお気に入りの本屋は、カタログとPCの中にある。

カツ…勝よりは克

 ワタシのニックネームは「カツ」、名前が勝治なのでという実にありふれたもの。最もワタシはこの名前が嫌いで…性格には漢字が嫌いで、「勝」を「克」と間違えて記した電化販売の会社の保証書を訂正せずに大切に保管している。
「勝」は相手に「勝」のだから好きではない。もともと、よく言えばオットリ、悪く言えば人のことなど一切構わない自分勝手な生き方をしているので、他人と争っている暇はない。「克」は「克己複礼」で、自己の私心・私欲に打ち克ち、その打ち克ったエネルギーが転じて、社会的に大きな力を持つの意味だから、そこのけそこのけ「おい等が通る」で、他人を見ては争いを仕掛けて来る「果し合い人種」よりも、人間としては大きくなるものとされている。
 因みに、沖縄国際大学学生のニックネームを「クロカベさん」と言う。一部沖縄県民の間で流行っている。このニックネームは、事故によって破損した「真っ黒になった壁を保存しよう」とする彼等のニュースに接するうちに自然発生的に、誰彼地知らずに、そう呼ぶようになっている。
 最初は、その形状からあの怪談で御馴染みの女性「お岩さん」にしたが、さすがに「顔半分、爛れた」存在をニックネームにするのは「セクハラ」に繋がるのでないかということで、「お富さん」…これはその壁が保存しようとする運動が起こってからのこと…その学校の学長の姓と「お富さん」作曲者の姓が同じだということで……しかし、殺してしまうのも悪いので、最終的に「黒壁さん」。
『源氏物語』に出てくる「髭黒(ひげくろ)」にちなんだもの…容姿はそれほどでもないが、光には靡かなかった女性を靡かせたので、これならいいだろうと……ところが、このクロカベ(黒壁)さん、水木しげる漫画に出てくる妖怪「ヌリカベ」を連想させるということで不評……あの壁なぜ残すのだろう!

マーロン・ブランド(Marlon Brando)

存在感! 他に、評論を必要としない俳優。


マーロン・ブランド(Marlon Brando)
「波止場」でオスカー受賞。 その後も「ゴッドファーザー」、「地獄の黙示録」など迫真の演技で観客を圧倒した米映画界のドン。

*2004年7月1日、マーロン・ブランド氏がロサンゼルスの病院で死去。 
 翌日2日に代理人であるブランド氏の弁護士が明らかにした。 
 死因は不明。 享年80歳。


【生年月日】1924年4月3日 
【没年月日】2004年7月1日(享年80歳) 
【生誕地】アメリカ ネブラスカ オマハ
【性別】男 【身長】約178cm 【職業】俳優
【略歴】
父マリオン・ブランドは化学飼料と駆虫剤製造業、母ドロシー・ペンヌベイカー・ブランドは女優で、地方劇団オマハ・コミュニティ・プレイハウスの創立者のひとり。

長姉ジョスリンは女優で5歳年上、次姉フランシスは画家。

11歳、両親別居。 母が3人の子供を連れ、カリフォルニアに移転。

13歳、両親和解。 一家はミシガン湖近くのイリノイに移転。

16歳、父にミネソタの陸軍アカデミーに入校させられるが、反抗的で退学させられる。

19歳、ニューヨークで演技修行中の姉ジョスリンに勧められ、専門学校でドラマティック・ワークショップ科に籍を置き、1年間、おもにモスクワアート劇場で演技研究を積んだステラ・アドラーから指導を受ける。 ここで、演技者は自分の演ずる役柄の感情は自分で開発しなければならないという「メソッド演技」を学ぶ。 ロング・アイランドの舞台に立ったところをエージェントに認められ、舞台「ママの想い出」でデビュー。

22歳、この年のヒット作の一つである、舞台「Truckline Cafe」で名女優タルラ・バンクヘッドの相手役をつとめる。

23歳、舞台「欲望という名の電車」で、義姉の汚れた過去を暴く貧しい夫婦の夫の大役を演じ、ブロードウェイで高い評価を得る。

26歳、ジンネマン監督による「男たち」で映画デビューし、主役の第2次大戦で負傷した元兵士の役を演じスターの仲間入りを果たす。

28歳、「革命児サパタ」で、メキシコ革命で活躍したサパタの演技が評価され、1952年度カンヌ映画祭主演男優賞を受賞する。

30歳、「波止場」でボクサーくずれの与太者テリーを演じ人気を決定付け、高い評価を受ける。 1954年度アカデミー主演男優賞を受賞。 また、作品自体もアカデミー作品賞を受賞するなどこの年のスーパーヒットとなる。 また、「乱暴者」で皮ジャンパーにジーパン姿の暴走族を演じ、このスタイルが若者の間に流行する。 これまで積んできた「メソッド演技」の研究が評価され、この演技スタイルの後継者を生む。 母が57歳で死亡。

31歳、プロダクション会社、ペンヌベイカー・プロダクションズを設立。 会社名は亡母から。

33歳、メキシコ女優アンナ・カシュフイと結婚。

34歳、長男クリスチャン・ブランド(Christian Brando)誕生。

36歳、アンナ・カシュフイと離婚。 メキシコ女優モヴィタ・キャステネーダと2度目の結婚。 次男ミコ(Miko)誕生。

37歳、「片目のジャック」で監督デビュー。

38歳、モヴィタ・キャステネーダと離婚。 女優タリタ・テリピア(「戦艦バウンティ(1962年)」で共演、島の娘を演じた)と3度目の結婚。

40歳、三男サイモン・テホトゥ(Simon Tehotu)誕生。

41歳、父死亡。

42歳、チャップリンの「伯爵夫人」で主演。 チャップリンの指示でワン・シーン監督も。

43歳、長女レベッカ(Rebecca)誕生。 四男ステファーノ・モスカ・ブランド(Stefano Mosca Brando)誕生。

46歳、タリタ・テリピアと離婚。 次女タリタ・シェイエン(Cheyenne)誕生。

48歳、「ゴッドファーザー」でマフィアファミリーのドン、ドン・コルレオーネ役を演じ、迫真の演技で名実共にハリウッド映画界のドンとなる。 
 2度目の受賞となる1972年度アカデミー主演男優賞受賞。 
 作品自体もアカデミー作品賞を受賞し、この年全世界でNo.1のスーパーヒットとなる。ただし、主演男優賞は"映画界のインディアンに対する取り扱いが不当だ"と反発し受け取らず。

55歳、ベトナム戦争を描いた「地獄の黙示録」で、ジャングル奥地で王国を築くカーツ大佐を演じ、1979年度アカデミー主演男優賞にノミネートされる。 作品自体もカンヌ映画祭グランプリ受賞するなど大ヒットとなる。

65歳、「白く渇いた季節」でアパルトヘイト問題に取り組む人権擁護派の老弁護士を演じ、1989年度アカデミー助演男優賞にノミネートされる。

66歳、長男クリスチャンが腹違いの妹、次女タリタ・シェイエンのボーイフレンド殺害事件を起こす。

70歳、自伝「母が教えてくれた歌」(ロバート・リンゼイと共著、角川書店刊)を発表。

71歳、次女タリタ・シェイエン(Cheyenne)自殺、享年25歳。

80歳、ロサンゼルスの病院で死亡。 死因は明らかにされていない。 享年80歳。

【現住居】
カリフォルニア ビバリーヒルズ

【離婚した妻たち】
アンナ・カシュフイ(Anna Kashfi) 1935年9月20日 69歳 女優 出演作「山」、「Battle Hymn」など。
モヴィタ・キャステネーダ(Movita Castenada) 1915年 90歳 女優 出演作「Knots Landingテレビドラマ」、「戦艦バウンティ(1935年)」など多数。
タリタ・テリピア(Tarita Teripia) 女優 出演作「ザッツ・ダンシング!」、「戦艦バウンティ(1962年)」など。

【子供たち】
長男 クリスチャン・ブランド(Christian Brando)1958年5月12日 47歳 俳優 ゲーリー・ブラウン(I)(Gary Brown (I))として知られている。 出演作「The Endless Gameテレビドラマ」、「I Love You, Alice B Toklas!」など。 殺人罪で10年の刑の判決を受け91年3月~96年1月入獄。
次男 ミコ(Miko)1960年 45歳
長女 レベッカ(Rebecca)1967年 38歳
三男 サイモン・テホトゥ(Simon Tehotu)1964年 41歳
次女 タリタ・シェイエン(Cheyenne)兄クリスチャンにボーイフレンドを殺され自殺。 1995年、享年25歳。
三女 ニンナ・プリシラ(Ninna Priscilla)
四男 ステファーノ・モスカ・ブランド(Stefano Mosca Brando)1967年12月1日 37歳 俳優 スティーブン・ブラックハート(Stephen Blackehart)として知られている。 出演作「Echoes of Enlightenment」、「Show Me the Funnyテレビドラマ」など。


〔出 演 作〕
男たち(1950年)
革命児サパタ(1951年)
欲望という名の電車(1951年)
ジュリアス・シーザー(1953年)
乱暴者(1953年)
デジレ(1954年)
波止場(1954年)
野郎どもと女たち(1955年)
八月十五日の茶屋(1956年)
サヨナラ(1957年)
若き獅子たち(1958年)
片目のジャック(1960年・監督)
蛇皮の服を着た男(1960年)
戦艦バウンティ(1962年)
侵略(1963年)
寝室ものがたり(1964年)
モリツリ南太平洋爆破作戦(1965年)
逃亡地帯(1966年)
シェラマドレの決闘(1966年)
伯爵夫人(1966年)
禁じられた情事の森(1967年)
キャンディ(1968年)
わたしは誘拐されたい(1969年)
ケマダの戦い(1970年)
妖精たちの森(1972年)
ゴッドファーザー(1972年)
ラストタンゴ・イン・パリ(1972年)
ミズーリ・ブレイク(1976年)
スーパーマン(1978年)
地獄の黙示録(1979年)
白く渇いた季節(1989年)
ルーツ2(1979年、テレビドラマ)
ジェネシスを追え(1980年)
ドン・サバティーニ(1990年)
コロンブス(1992年)
ドン・ファン(1995年)
D.N.A.ドクター・モローの島(1996年)
ブレイブ(1997年)
フリーマネー(1998年)
スコア(2001年)

 

サイト、ブログの気象のプロに対しての「小満芒種」

 BIGLOBEの天気予報を毎日見ている。トピックなどは、気象関連の知識が多少なりとも得られ、得した気分になれる。 天気予報士ではブログを開設している三人の意見が大変役に立っている。三人三様、天気に限らず日常の私的な話題を盛り込み、ほのぼのとさせてくれる。必見! 気象予報士ブログ


岩谷 忠幸 気象最前線

〔プロフィール〕  気象予報士・防災士 NPO法人気象キャスターネットワーク理事


お天気ブログ

 〔プロフィール〕 太田 陽子 誕生日 5月23日 ふたご座 血液型 A型出身地:東京都 趣味:陶芸、映画を観ること、その他いろいろ


天気で元気

〔プロフィール〕 福冨 りか 誕生日 8月17日 A型  出身地:横浜市趣味:クラッシックバレエ・ヴァイオリン 愛読書 気象の本全般、食品成分表特技:料理番組のレシピをメモをとらずに完璧に覚えられる  


 地元のマスコミ(新聞・テレビ・ラジオ)は見ないので知らない。見ると「神経を逆撫でされる」ので腫れ物には触れるなとする姿勢である。「沖縄ではこの時期を小満芒種(すーまんぼーしゅ)と言います。暦から来ています。生活実感にあった言葉ですね」小満芒種とは二十四節季のうちの呼び名である。この節季に記された通りの気候が存在するのは東京を近辺のみである。否、関東近辺がもっともこの節季にあったサイクルがある。ところが沖縄にはこの亜熱帯地方であるとう事実で、この節季にはない項目の気候がある。従って、この「暦に沿った言葉である」とは大嘘である。たまたま、太陽暦5月21日(陰暦4月26日)から6月6日(5月12日)が「小満」「芒種」という項目にあたり、その時期に沖縄は入梅するという事実があるのみであって、暦から来た言葉であるとはいえない。 ご存知の方が多いだろうが、二十四節季を記しておきます。

立春:2月4日  雨水:2月19日  啓蟄:3月6日 春分:3月21日 清明:4月 5日  穀雨:4月20日  

立夏:5月6日 小満:5月21日  芒種:6月6日  夏至:6月21日  小暑:7月7日  大暑:7月23日

立秋:8月8日  処暑:8月23日   白露:9月8日  秋分:9月23日 寒露:10月8日  霜降:10月23日 

立冬:11月8日 小雪:11月22日 大雪:12月7日  冬至:12月22日 小寒:1月6日  大寒:1月10日 

 沖縄には雪は降らない。春も秋もない。桜・紅葉の季節はないといって言い。桜前線の発表も沖縄は含まれていない。参考にならないからである。こういう事実を提示せず、「小満芒種と言います。暦から来ている現実感に基づいた生活感から来た言葉です」と言い、その後に決め台詞「私たちの先人は偉いですね」である。この言葉は老人に対する「心ある言葉」なのである。彼等は沖縄人は独自な文化があると信じ込み、そうでない資料を提供すると「逆上する」体質のため、なるべく「そう思っている」ことには触れない、つまり腫れ物には触れないとする沖縄県民の知恵の一つでもある。  

 

 全てにそうだが「沖縄人には現実感が皆無である」。仕方がない。ある意味、一種の幻覚幻聴で生きている民族だからである。「門中」という親族組織がある。中国からの輸入の制度であるらしい。しかしこの制度があるとは「養子」の存在があってはならない。だが沖縄は昔も今も、本土と宗教言語を同じくし、社会構造は同じだが、数百年近くの遅れがあり、同時に本土では徳川時代に形成し得た「町人・商人階級」を中国と日本との両属によって形成し得なかった違いを除き、文化習俗は本土の真似であるので、当然「養子制度」があった。これでは血縁のみを基礎としたその種の制度が存在したとはいえない。これは中国の「血縁組織」とは別の「動物的血統証」陳列会である。陳列会とは、今でも沖縄では、この「動物的血統証」による集まりが墓場で行われるからである。

 

聖書における預言者(ナービー) 2

■公開した前回までの記事

聖書における預言者(ナービー)1



聖書において未来予知を意味する言葉には「見る者(ローエー)」「先見者(ホーゼー)」という言葉がある。預言者(ナービー)は、系統からいえば見る者・先見者から発展したものだが、それらの、つまり未来予知能力を預言者にある場合にでも、それが大切ななのではない。その本質は「神の言葉を預託された者」である。
 従って、その最後に未来における神の厳しい裁きを述べても、その主体が徹底的な現実社会の不正の糾弾であっても不思議ではない。次の文章は『アモス書』からの引用である。これを読めば旧約の預言なるものが、未来予知や予言などといわれるものとは全く違うことがわかる。
「災いなるかな、自ら象牙の寝台に伏し、長いすに身を伸ばし、群れの中から小羊を取って食べ、牛舎の中から子牛を取って食べ、琴の音に合わせて歌い騒ぎ、ダビデのように楽器を造り出し、鉢をもって酒をみ、いとも尊い香油を身に塗り、ヨセフの破滅を悲しまない者たちよ。
 お前たち! 貧しい者を踏みつけ、また国の乏しい者を滅ぼす者よ、これを聞け。お前たちは言う、「新月はいつ過ぎるだろう、そうしたら我々は穀物を売ろう。安息日はいつ過ぎるだろう、 そうしたら我々は麦を売り出そう。我々はエバを小さくし、シケルを重くし、偽りの秤をもって欺き、乏しい者を金で買い、貧しい者を一足で買い取り、また、くず麦を売ろう」
〔アモス書六-4~6 八―4~6〕

 預言者が怒りかつ糾弾したのは社会的不義であり、彼等が求めたのは社会的正義だった。
 
 預言者ミカは次のように述べている。
「私は何をもってヤハウェの前に行き、高き神に拝すべきか。燔祭及び当歳の子牛をもって、その前に行くべきか。ヤハウェ数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わが咎のためにわが長子を捧ぐべきか。
人よ、彼はさきに良きことの何であるかを、お前に告げた。ヤハウェがお前に求めることは、ただ公儀を行い、へりくだってお前の神と共に歩むことではないか」
〔ミカ書六-6~8〕

 神に御供物も御賽銭も捧げる必要はない。神が求めているのは、公儀(社会正義)を実施し、慈しみを愛し、謙って神と共に歩むことだから、それらを捧げよと彼は説いている。





判断の資料となり得る雑誌の充実! 私の図書館活用法


 日本人の大半は毎朝、宗教規定を読んでいると言われている。キリスト教の神父や牧師が聖書を読む時間よりも、それは長い時間かも知れない。もっとも最近は新聞離れが言われているので、その限りではないかもしれないが、基本的な変化があるわけではないだろう。
 世界のどこの国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるとは公正な報道をしないという意味でなく、ある一つの事態を眺めかつ報道している自己の位置を明確にしているということになる。読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下すことになっている。
 この意味で、外国人に理解できる新聞は日本経済新聞と赤旗(日本共産党機関紙)であると言われている。両者とも報道者の位置がハッキリしているから、対象とそれへの支店が共に明確である。従って、読者は各自の立場から其々の判断を下すことができる。
 しかし一般紙は、相当な日本通の外国人でも、その内容は「謎」であり、理解に絶するらしい。自己の立場といえば、不偏不党とか公正であると言い、対象を見ている「自分の位置」は一向に明確に打ち出していない。これは非常に奇妙である。物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものは絶対にある。そして、その立場が明確でない新聞は発行できない。発行しても誰も読まない。読まれるはずがない。「不偏不党」「公正」とは、その立場における自己の姿勢乃至は心構えのことであっても、そんな「自己の位置がある」のではない。それが可能で、その位置に立ちうるのは「神のみ」である。
 不偏不党及び公正な立場に立ちうるのは「神」のみなのが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(ヘブライ・キリスト的宗教)に共通した考え方である。従って、人である限り、自己の位置を明確にしなけれな公正(フェア)でない。だからそれを明確にしないことが不偏不党かつ公正だと言えば、欧米人は頭が混乱する。日本の一般紙を「新しい日本の現人神です」といえば、「なるほど、だから自己の位置を明確にしないのか」とすぐに理解できる。日本の新聞とは「宗教規定であり、日本人がよく口にする人間・人間的・人間性といった不思議な立場に立たされた」宗教規定機関紙であると。図書館に収められている、現代を知るニュース・風俗等の資料は大半がこの宗教規定(新聞)である。
 大宅壮一文庫というものがる。この文庫は、雑誌(月刊誌・週刊誌)等を中心に収めれている。現代を知るには、非常に有効な図書館である。新聞と異なり、雑誌などは宗教規定で対象を見ず、自己の位置を明確して対象を報道している。従って、判断の材料ともなり得る。宗教規定はあらかじめその「宗教の規定・定義」さえ知っていれば、その原典のみを持ち、それに従って対象を論ずればいいから、いつ・どこで・だれが・何を・どのように・どうした、とする5W1Hの一段ベタ記事のみで「後は杓子定義に従って」PCに入力すれば、あれま不思議! 「新聞記事と全く同じ」記事が一丁出来上がり、無思考・無関心・無感動であっても誰でも「出来た!」で済む。
 全国の図書館がオン・ラインで、「判断の資料」となり得る雑誌を収蔵している大宅壮一文庫と結ばれれば素晴らしいことである。日本の新聞をどれほど集めようが「判断の資料」にはならない。せめて雑誌類を充実させてもらいたい。
 雑誌類は個人が何十余年分を集めても使う部分が少ない。新聞など「捨てるのに大変」でしかない。重要性が異なる。これからの図書館は「判断ができる資料の提供」をもっと重視するべきだろう。



絵画に読書の日曜日23時to1時、毎日の白花夕顔と月

 日曜日の23時から1時過ぎまでの時間が一番好き! その二時間テレビを見ている。WOWOWで『迷宮美術館』『週間ブック・レビュー』、それを見て、しばらくして眠りにつく。
 今、曜日に関係なく好きな時間帯がある。17時半の日没後黄昏から20時までである。この時間帯に庭の≪白花夕顔≫(ヨルガオ)が咲くからだ。花壇から二階屋上まで、8本の誘引紐に夕顔は蔓を巻きつけている。否、予定だ。現在、一本は到達、二本目は”もうすぐ”達する。眼前に白花、その向こうに月、時に白く、時に黄色にと変化する楽しみを毎日味わっている。その構図は葛飾北斎風である。

「異端審問私的制裁裁判」となることだけは避けたい!

 この「裁判員制度」には反対! 異端審問私的制裁裁判が堂々とまかり通る可能性が強いからです。

 日本人の中には、「民主主義絶対」「平和憲法絶対」とする絶対主義者がいます。これが問題なのです。民主主義とは政治体制であり、それは相対主義的でかつ世俗的なシステムです。これを絶対主義者たちは、絶対的な崇拝の対象としているのです。 

 このことを最近ニュースになって話題に上がったひめゆり部隊の生き残りの方々を例にとって説明します。因みに私は沖縄県宜野湾市(普天間飛行場で有名な)に実家があり、現在そこに住んでいます。戦争体験者に対して、外部批判を行うのでもなく内部批判、つまり政治的意図は全くないことを断っておきます。 一個人の体験は、どのような体験であれ他者が共有することはできません。しかし、体験から生じる偏見は他者がも共有でき、その偏見は社会的常識となり得ることもあります。人間誰しも偏見があります。従って自戒のある人は、自己の中にも偏見があり、体験から生ずる偏見を一方的に普遍化したり公式化したりしないとする自戒があります。あらゆる異常体験者たちは、その体験から生ずる偏見もまた一段と強いものがあります。従って一般の人よりこの自戒が強いのです。しかし「ひめゆり部隊」の生き残りの方々はそうでない。その方々は、自己の戦争体験という異常体験から生ずる偏見を他者に共有させることによって、沖縄の社会はおろか日本全国に偏見を常識化することに執念しています。まずこれが前提にあります。そしてその体験を継承しようという者達がいます。これが問題です。 

 普通の神経の持ち主は、「一個人の体験は他者が共有することはできない」に従って、それを行おうとすれば、押し付けがましいという反応を示します。当然でしょう。では反発を示さないひとは「体験を共有する」ことに成功したのか? 勿論違います。継承者は、自己が「こう見たい。こう思いたい」とすることと「体験者が体験から生じた偏見」とが一致したことに喜びを見出しているのです。当然に「偏見の塊」と呼んでも不思議ではない者たちです。その彼等の継承の目的は、当然に「自己の権威化」であっても「戦争体験の継承(これは不可能)」や「反戦平和」などではありません。 

 彼等が行いたいのは、自己の権威化のために他者を従わすこと、その手段としての「戦争体験及び体験者」利用です。その手法は「戦争体験者乃至は体験を一種の勝利者と見なす事によって、それを絶対的な権威とし、その言葉を絶対化し(勿論体験者だけでなく新聞などが記した言葉も)、それを各人が持つべき全人的な基準として、それに基づいて一方的に他を断罪して反省を強要する」のです。「あなたは反省が足りない。反省のない本土の人には驚く」などですが、この「反省の強要」が出てくる精神構造乃至は思考図式とは、自己の絶対化と討論の拒否です。その自己絶対化乃至は自己権威化は、自己の売る思想乃至は個人を絶対化し、それへの批判を許さないことによって自己を絶対化し、自己の基準を一方的に相手に強要するために行われます。この反省の強要は「拷問による自白」や「詐術もしくは誘導による自白」と同じです。またこの「拷問による自白」は「私的制裁に自白」や「決め付けによる反省の強要」と同じです。 これが行える精神行動とは「相手への人格無視」です。批判が行われれば、それに対して対等に反論できるのでうが、「ひめゆり部隊の生き残り」のように、自己の体験を絶対・神聖化し。権威化して、それへの批判は一切許さない「謝罪しろ」となるのです。この種の「反省」は、「ひめゆり部隊生き残りの言葉」を絶対の権威として無条件で受容するまで徹底的に続けられるのです。そして「ひめゆり部隊」の方々は、自己が自らのうちにもつ基準を一言もいわず、沈黙しているのです。 

 これが新聞で取り上げられ、青山学院高等学校の代表が謝罪したことは非常に残念でした。学校の先生方には旅行先を選択する権利がありません。従って、それが退屈であれ、その受け取り方が問題となるわけがないのです。最も、それを入試試験問題としたことは、学生に対しての思想教育の一貫としても受け取れないことはなく、その点のみで議論の分かれるところでしょう。 

 このように民主主義や憲法など、相対的なものを絶対化し、民主主義国を異端審問私的制裁社会に変貌させる根は強いものがあります。 日本の伝統には絶対神というものはありません。この思想は、中国からの一思想と日本的な習合に、つまり朱舜水という一中国人がもたらし、また徳川幕府が官学とした儒教的正統主義と日本の伝統が習合して出来た思想で、日本思想の数多い思想の中の一思想で朱子学の亜種です。 これが戦後民主主義に歪みを生じさせ、相対的なものを絶対化し、また、沖縄県での戦争体験及び継承者たちなどには自己権威化の思想として使われているわけです。そして戦前戦中の方々はこの思想を知らず、「何かはわからないが、何か呪縛されているようだ。しかし抵抗ができない、だが従っているわけでもない」とする状態になり、「ひめゆり部隊生き残りが体験」した戦争を起こし、そして敗れた。それは思想であり、その外来思想である「朱子学の亜種」は日本思想史の一頁に還すことはできるのです。 

 しかし、まだ社会的にそれが行われている状況にあるとは思えません。従ってこの「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」には反対です。しかし、5年後、それが行われれば喜んで参加したい。というのは、その制度への参加というより、一個人だが内部からその制度のあり方を問うことも可能だからです。

聖書における預言者(ナービー) 1

前回までの記事です

聖書における預言者(ナービー)1

聖書における預言者(ナービー)2

聖書における預言者(ナービー)3-1 エリア

聖書における預言者(ナービー)3-2 エリア

聖書における預言者(ナービー)3-3 預言者は有能な政治家を評価しない‐エリア

聖書における預言者(ナービー)4;繁栄は社会的正義にあらず!

[聖書における預言者5] ホセア、旧約の中のユニークな思想家 1-a

 

聖書には、律法のほかに預言という大きな流れがある。


律法主義では、「法」を通じてしか人間は神と関係をもたない、神との契約を尊んでいる。神を信ずる信仰(フェイス)とは「神への忠誠(フェイス)」であり、それは「神との契約の絶対遵守だ」ということになる。ところが旧約には「契約」なしで登場して来る不思議な一群がある。それが預言者であり、預言者は神との契約で登場するのではない。 


 キリスト教徒は旧約聖書のなかで、この預言者の伝統を重視し、かつ継承する。一方、ユダヤ教はその中心を律法の伝統におき、イスラム教もそういえる。ユダヤ教、イスラム教に対するキリスト教の独自性はここにある。 


 預言者(ナービー)は歴史的な複雑な存在である。律法との関係で、ある時期に急に現れたものではなく、律法より古い時代から存在した。それもイスラエルだけでなく、東方一帯にあったものである。はじめは「神託を告げる者」といった意味で、多くの宗教にあるエクスタシー(自己解体・ブーム〔こんな空気ですから〕の竜巻状況)状態になってお告げをするような人だった。 


 古代の東方では主権者の周囲にも必ずこのような人がいた。これが先見者(ローエー)であり、次に記すサムエル記上の記述は、歴史的に重要なものである。 ―昔イエスラエルでは、神に問うために行くときには、こう言った。『さあ、我々は先見者のところへ行こう』。今の預言者(ナービー)は、昔は先見者と言われたのである」(九-9) また預言者(ナービー)が代言人の意味に使われている場合もある。 


 歴史的根拠としては、預言者が、見者(ホーゼー)、先見者から発展したということは明らかである。だがそれは、聖書における世編者の独自の性格を明らかにするものではない。勿論系統も大切で、後の預言者に、先見者的、代言人的性格も含まれていたことは事実だが、それは「イスラエルの預言者の特質」を示すことにはならない。