対内言語と、対外言語と! -64ページ目

悪魔でさえ自分の益となるなら聖書を引用することがあり得る

(マルコによる福音書第一章)
●汚れた霊に取りつかれた男をいやす 
21節:一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 
22節:人々は(イエスの)その教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、{権威ある者}としてお  教えになったからである。 
 イエスは「権威ある者のように教えた」のだが、当時は「権威」は旧約聖書(モーセの五書=トーラー)にあり、人に許されているのはその敷衍的な解釈と、それに準拠した口伝律法を教えることだけだった。
 しかしイエスは平然と「(旧約聖書には)こう記されている。しかし私はこう言う」という言葉を口にしたのである。謂わば、旧約聖書の言より自分の言が権威あるのであって、これは当時も、現代イスラム世界においても考えられないことだった。
「コーランにはこう記されている。しかし私はこう言う」と、自分の言をコーランより権威ある者の如くに言うことは許されない。これは新しい正統性(レジティマシイ)の創出になり、伝統的体制の基本を覆すことになるからである。


(ヨハネによる福音書第一章)
●フィリポとナタナエル、弟子となる 
43節:その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、{「わたしに従いなさい」}と言われた。 
44節:フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。 
45節:フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。そ     れはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」 
46節:するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、 「来て、見なさい」と言った    。 
47節:イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この 人には偽りがない。」 
48節:ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポか    ら話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言  われた。 
49節:ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 
50節:イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあな    たは見ることになる。」 
51節:更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

 引用の仕方でその人の精神構造を知ることができる。もし私が「軍人勅諭」を引用すするときは、あくまでも資料としての引用である。このことは「聖書」に対する姿勢でもある。しかし旧日本軍の軍人が引用したときには、「自己権威化」のためであっても資料としてではない。この二つは全く違う。
 沖縄県に限らず日本には「戦争体験者」がいる。この体験者自体にもある問題がある。一個人の体験を他者が共有することができないのだが、体験者の中には「体験の継承が可能である」としている人達がいる点である。その心情は「体験を風化させるな」等の言葉に象徴的に表れている。体験は他者が共有することはできないが、体験から生じる偏見は他者も共有でき、それが社会的常識になる場合もある。風化させるなとは、要するこの事であり、「私たちが戦争体験から生じた偏見を他者にも共有させ、その偏見を社会的常識としたい」わけである。
 そして「体験継承」運動なるものを存在する。つまり「偏見継承」である。私が体験者の言葉を引用するときには資料としてである。従ってそれへの批判・非難・反論も有り得る。権威化する対象ではないからである。そして「偏見継承主義者」は、体験者の言葉を、一つの資料として引用することは有り得ず、絶対の権威として引用し、それを無謬の真理の如くにして、(体験者でなく自己への)反対者の口を封じようとし、それに応じない者は「反省がない」「自己批判を求める」等と決め付けるわけである。
 この継承者の態度は、かつての軍人と非常によく似た態度である。違う点は軍国主義者と商業軍国主義者との差である。 
  確かに『イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」』と言ってはいる。しかしこれを沖縄的体験継承者が言う場合には、「聖書には「私に従いなさい」と言っているので、私に従いなさい」と、絶対の権威の如く引用し、そしてイエスを無謬の真理の体現者にすることによって、反対者の口を封じ、それに応じない者は「地獄に落ちる」「あなたは救われない」「反省が無い」等の決め付けを行って、自己の従わすのである。
 つまり聖書に対する態度にも、それに記された言葉を資料として引用するか、権威として引用するかによって、その人の精神構造がわかる。また権威とする場合にも二つのタイプがある。その対象を絶対の権威として自己が従うか、その対象を絶対の権威として他者を従わすかである。沖縄における戦争や平和に関する全ての事象は、すべて最後のタイプに属するものであり、私は「彼等に従わない」だけの人である。


≪The devil can cite Scripture for his purpose.≫
(悪魔でさえ自分の益となるなら聖書を引用することがあり得る)


(ルカによる福音書第4章)
6節:そして悪魔は言った。
  「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う   人に与 えることができるからだ。 
7節:だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」 
8節:イエスはお答えになった。
 「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 

9節:そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。
  「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。 
10節:というのは、{こう書いてある}からだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』 
11節:また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える 。』」 
12節:イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。


 聖書はそうそう楽に読める本でもないし、取っ掛りが見つけにくい本だが、一度、その世界の魅力に取り憑かれると離れられなくなる本でもあるようだ。読んでいるだけなら問題はないだろうが、精神構造の有り様によっては、呪縛の主・悪魔のような引用をする。イエスに言われるめでもなく「私は私の神に従う」のみであり、聖書に限らず、自己権威化のための「引用」読書等を行う精神構造にだけは成りたくないものである。この点で沖縄人の多くは、また戦争体験継承者は百㌫・平和運動家やそれに参加する者の大半は、聖書で言う悪魔に取り憑かれた人間とも言えなくもない。

マーサの幸せレシピ――本当に自分を解放してくれる人の存在の大切さ!

タイトル: マーサの幸せレシピ


沖縄に帰郷してから映画館に一度も足を運んだことがないし、今後もないだろう。この映画はWOWOWで見た。沖縄に居る時にはそうする。ともかく沖縄人とはシツコイ民族なので「袖触れ合って出会えば兄弟姉妹」になる。そういうことは、ストーカーではなく世界に誇る沖縄文化などと沖縄県警まで嘯く。これを指摘すれば「誰がお前と知り合いになるか」と叫ぶ人もいるが、叫ぶ自体異常である。私はそういうシツコイ人間に対して直接に言ったことはない。こういう人間の対策で一番重要なのは「自分の存在が相手に何らかの影響を与えている。だから自分のことを語っている」と思わせてしまうことであるという。これはストーカー対策上最も重要不可欠な心構えであるといされている。  私は何やら心を閉ざしていると見られるであろう。しかし、ストーカー被害者や、それについての多少の知識のある人は知っているだろうが、こちらの意思に無関係に勝手に人間関係が有るが如き語り、有るが如き行為をとる人への拒絶、つまり防衛反応でしかない。暴力とは自己の意思を相手に及ぼす破壊的行為であると定義されている。出会えば兄弟姉妹は自己の意思を捨てて、まず相手の意思を尊び行動するのならば、まだその言葉にも理解を示すことができる。しかし、互いに縛られつつ協力し合うユイマール社会に生きる沖縄人には、そういうことなど不可能に近い芸当である。この言葉の本来の意味は「沖縄は小さい島(村の集まり)だから、その中での人間関係を大切にしなさい」的な農村的村落共同体における礼儀作法のようなものである。
 ドイツ映画祭でも上映されるが、『マーサの幸せレシピ』がお奨めである。この映画、、二人と一つの自閉症的行為が最後に解放されると物語である。まず主人公マーサの姉、リナが母親を亡くして心を閉ざしてしまう。それを解放したのがイタリア人シェフ、マリオ、その彼にマーサも癒される。二人は解放される。そしてマーサが長い間「街で二番目のシェフ」と呼ばれたことも…
 この映画は、本当に自分を解放できる人の大切さを知ることができる。出会えば兄弟姉妹等という「自己の私欲を満たすための詐欺行為のみを行う」のとは天地の開きのある物語である。 
ドイツ映画祭2005 公式ホームページ

マーサの幸せレシピ ~シネこみ~   


 このサイトはネタばれは禁止していない。頼みもしなければ、金を貰ってもいないのに「何々で、何々、さて何々、後は見てはお楽しみ」の評論家・批評家気取りの中がいるが、実際の評論家や批評家は「金で口止めされていない」限りペラペラと喋るものである。なぜか? 簡単だ!私ならこう言う「ギリシア演劇の内容を全て話しても、その演劇を見に行かない人がいれば教えてほしい。もし、そういう人がいるなら、わざわざそういう人に見て貰いたいがために内容を話すのと言うのか」と。つまらない映画ほど「見てからのお楽しみ」が多し、「内容が空っぽ」の人間ほど「すべて話したね。ところで」と会話が途絶えて自分が空っぽだということがばれないようにするためにも「後は見てのお楽しみ」としたいものである。

 マーサの幸せレシピ(みんなのレビュー)

400 Bad Request Mostly Martha

「マーサの幸せレシピ」DVDレビュー、脚本レビュー

 

雨の日でもドライブ感! RAIN⇒Purple Rain

アーティスト: The Beatles
タイトル: Past Masters, Vol. 2
アーティスト: Prince & The Revolution
タイトル: Purple Rain (1984 Film)


 6月22日、沖縄は10日ぶりに晴れ間を見せている。昨日までは雲が一日被っていた。今年は、夏至と共に梅雨明けみたいだ。まだ、沖縄気象台からの発表はないが! BEATLESの『RAIN』…この曲が特別雨の日に聴きたい曲ではないが、雨の曲として最初に印象に残った曲…サビの”RAIN”のフレーズが奇妙に耳にこびり付く作り。 アルバムとしてはPrince & the Revolutionの1984年作品 『Purple Rain』もいい。雨に関してのコンセプト・アルバムではなく、タイトルに「雨」が付くだけだが、独特なカッタルサを備えたドライブ感は、元YMOの細野さんでは出せない。ずっと寝ている気なら彼の曲もいい。すべて”雨”用とも言える。

  rain - Music WILD HONEY PIE ◆THE BEATLES WEBSITE◆

  ビートルズの魅力を追求すべく、さまざまなコンテンツを設うけている。コンテンツは3つに大分されていて、「DISCOGRAPHY」はアルバム紹介、「BEATLES TOUR 1」は「ちょっと硬派なメニュー」、「BEATLES TOUR 2」は「なんでもありのやりたい放題のメニュー」を、それぞれ取り上げているサイト!


  『RAIN』は、シングル『PAPERBACK WRITER』のB面に収録された曲で『REVOLVER』の先行シングルとして発表されただけあって、かなりサイケデリックな匂いがする。 

≪RAIN(LENNON & McCARTNEY)≫

  雨が降ると、みんな走って、頭に手をやって逃げていく。

 まるで、死んだほうがマシってくらいの勢いで。

 雨が降るとね。そう、雨が降ると。

  晴れてるときは、あわてて日陰に避難。

 レモネードをすすってる。

 お日様が出てくると。そう、太陽が顔を出すと。

 雨が降っても、僕は気にしない。

 晴れていれば、その日は快晴。

  いつ雨が降るのか、僕には分かる。

 雨が降ったって、別に何も変わらないんだけどね。僕には分かるんだ。

 雨が降っても、僕は気にしない。晴れていれば、その日は快晴。


 beatles - Past Masters Vol. 2 - rain lyrics

 If the rain comes they run and hide their heads

 They might as well be dead

 If the rain comes

 If the rain comes


 When the sun shines they slip into the shade and sip their lemonade

 When the sun shines

 When the sun shines


 Rain, I don't mind Shine, the weather's fine

 

 I can show you that when it starts to rain everything's the same

 I can show you I can show you Rain,

 I don't mind Shine, the weather's fine


 Can you hear me that when it rains and shines it's just a state of mind

 Can you hear me

 Can you hear me More rain

第132回直木賞に奥田『空中ブランコ』熊谷『邂逅の森』、芥川賞にモブ『介護入門』

著者: 奥田 英朗
タイトル: 空中ブランコ
著者: 熊谷 達也
タイトル: 邂逅の森
著者: モブ・ノリオ
タイトル: 介護入門

 決定しましたね! このコーナーを見るのが遅かった。PCを修理に出していて代替機の操作が不自由でブログに来れなかった。ハハハ!
 直木賞には、奥田英朗の『空中ブランコ』・熊谷達也の『邂逅の森』、芥川賞には、モブ・ノリオの『介護入門』
 奥田英朗は、『邪魔』『マドンナ』『イン・ザ・プール』などで過去4度直木賞にノミネート、トンデモ精神科医を主人公にした連作短編第二弾でついに栄冠を射止めた。熊谷氏の『邂逅の森』は、山本周五郎賞とのダブル受賞で文壇初の快挙である。
 芥川賞を受賞したモブ・ノリオ氏は、世界的なスカムロック・バンドに在席するなど、ユニー

クな経歴の持ち主でもある。受賞作は、祖母の介護をするドラッグ中毒の青年の独語をラップ音楽を思わせる独特のリズムで表現し、現代若者の倫理観に迫った作品である。

 体重百キロ超、「色白のアザラシ」のような風貌で、総合病院の跡取り息子でマザコン、注射フリークの伊良部! 彼が大学の医学部を卒業できたのは、日本医師会の重鎮であるオヤジのコネ、あるいは、秋篠宮殿下ご成婚の特赦で、国家試験を通ったことについてはフリーメーソンの関与説まで出た逸材である。
 もし、この作品を映像化するなら、伊良部役は、誰がいいかという話題もしきりだった。取り合えずテレビでは。。。巨乳で無愛想な看護婦役は、小池栄子かMEGUMIあたりのイエロー・キャブの面々でイケルのだが、この役をテレビでは釈由美子が演じていた。

『空中ブランコ』は、『イン・ザ・プール』に続く伊良部を主人公にした連作短編2作目で、今回、彼の元を訪れるのは、不眠症にかかった空中ブランコ乗り、先端恐怖症のヤクザ、イップス

にかかったプロ野球選手等々で、悩みに悩んで、精神科医のもとにカウンセリング目的で訪れ

るのだが、まずは、一発、ぶっとい注射を打たれる。
 そして伊良部はと言えば「空中ブランコに乗らせてくれ」だの「ピストルを撃たせてほしい」の哀願、否、彼に言わせれば治療の連続である。
「いったい、自分はどこに迷いこんだんた?」と思う患者たちだが、いつしか”コイツ”に振り回されているうちにというストーリーである。
 この作品に登場する患者たちは、結局は、自分で自分を治す。ここに、バブル崩壊以降社会に氾濫している「癒し系」的なるものへの反発が底流として流れているように思える。
 物語音読論というものがある。平安時代の何の御心配もなく、ただただ恋愛一筋のお姫様たちが、召使いに本を読んでもらって、自分はその物語絵を眺める。
「お前なあ、自分で読めよ」と言いたいが、これは現代では当たり前のことで、姫だけに限らず男までもがマスコミに判断を白紙委任して自らは映像を見ている始末である。
 だからであろう、何の警戒心も猜疑心も抱かせず身も心も委ねる「癒し」という存在、ただひたすらに心地よさのみを与えてくれる音楽や読み物、つまりバロック時代と同じで、内容空虚、無思想時代に相応しい流行としての癒し系人間……伊良部はそうした「癒し系」の「癒され」に来た人間に向かって逆に「空中ブランコに乗せて、ピストルを撃ちたい」と言い、「癒されたいのは僕なんだよ」と逆説をもって治療に当たっている。
「癒し」なんて言うのは結局、マスコミによって作り出された例の如く例の如しの「まやかし」に過ぎないのであろう。
 昨年刊行された『野球の国』というエッセイ集の中で「わたしはウケることがなにより好きだ」と明言している奥田だが、伊良部シリーズでは、職人として、見事にウケに徹している。

『邂逅の森』の熊谷達也は、以前NHKのブック・レビューに出演していた。その時の話題は『最近、山本周五郎賞を受賞なされた』とういうことのゲスト出演だった。作品は、マタギを主人公にしている。

《自転車日記》から自転車レース、そしてエコサイクル・マイレージに

          遠藤

 漱石はロンドンで下宿の老婦人に自転車を乗るよう奨められた。それを記した『自転車日記』がある。
 明治時代の作品を読みなれていない人には、読みがチョッと難しいかも知れないが、雰囲気は何となく感じ取れると思う。全文を掲載する。

 西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯を三階の天辺まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上ること無四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しきばかり也、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷える余に向って婆さんは媾和条件の第一款として命令的に左のごとく申し渡した、

自転車に御乗んなさい

 ああ悲いかなこの自転車事件たるや、余はついに婆さんの命に従って自転車に乗るべく否自転車より落るべく「ラヴェンダー・ヒル」へと参らざるべからざる不運に際会せり、監督兼教師は○○氏なり、悄然たる余を従えて自転車屋へと飛び込みたる彼はまず女乗の手頃なる奴を撰んでこれがよかろうと云う、その理由いかにと尋ぬるに初学入門の捷径はこれに限るよと降参人と見てとっていやに軽蔑した文句を並べる、不肖なりといえども軽少ながら鼻下に髯を蓄えたる男子に女の自転車で稽古をしろとは情ない、まあ落ちても善いから当り前の奴でやってみようと抗議を申し込む、もし採用されなかったら丈夫玉砕瓦全を恥ずとか何とか珍汾漢の気を吐こうと暗に下拵に黙っている、とそれならこれにしようと、いとも見苦しかりける男乗をぞあてがいける、思えらく能者筆を択ばず、どうせ落ちるのだから車の美醜などは構うものかと、あてがわれたる車を重そうに引張り出す、不平なるは力を出して上からウンと押して見るとギーと鳴る事なり、伏して惟れば関節が弛んで油気がなくなった老朽の自転車に万里の波濤を超えて遥々と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤客に引きずり出され奔命に堪ずして悲鳴を上るに至っては自転車の末路また憐むべきものありだがせめては降参の腹癒にこの老骨をギューと云わしてやらんものをと乗らぬ先から当人はしきりに乗り気になる、然るにハンドルなるもの神経過敏にてこちらへ引けば股にぶつかり、向へ押しやると往来の真中へ馳け出そうとする、乗らぬ内からかくのごとく処置に窮するところをもって見れば乗った後の事は思いやるだに涙の種と知られける、
「どこへ行って乗ろう」「どこだって今日初めて乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない落ちても人の笑わないようなところに願いたい」と降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情を憐んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あまり繁からざる大道の横手馬乗場へと余を拉し去る、しかして後「さあここで乗って見たまえ」という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、
 乗って見たまえとはすでに知己の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見たおぼえは毛頭ない、去るを乗って見たまえとはあまり無慈悲なる一言と怒髪鳥打帽を衝て猛然とハンドルを握ったまではあっぱれ武者ぶりたのもしかったがいよいよ鞍に跨って顧盻勇を示す一段になるとおあつらえ通りに参らない、いざという間際でずどんと落ること妙なり、自転車は逆立も何もせず至極落ちつきはらったものだが乗客だけはまさに鞍壺にたまらずずんでん堂とこける、かつて講釈師に聞た通りを目のあたり自ら実行するとは、あにはからんや、
 監督官云う、「初めから腰を据えようなどというのが間違っている、ペダルに足をかけようとしても駄目だよ、ただしがみついて車が一回転でもすれば上出来なんだ」、と心細いこと限りなし、ああ吾事休矣いくらしがみついても車は半輪転もしないああ吾事休矣としきりに感投詞を繰り返して暗に助勢を嘆願する、かくあらんとは兼て期したる監督官なれば、近く進んでさあ、僕がしっかり抑えているから乗りたまえ、おっとそう真ともに乗っては顛り返る、そら見たまえ、膝を打たろう、今度はそーっと尻をかけて両手でここを握って、よしか、僕が前へ押し出すからその勢で調子に乗って馳け出すんだよ、と怖がる者を面白半分前へ突き出す、然るにすべてこれらの準備すべてこれらの労力が突き出される瞬間において砂地に横面を抛りつけるための準備にしてかつ労力ならんとは実に神ならぬ身の誰か知るべき底の驚愕である。
 ちらほら人が立ちどまって見る、にやにや笑って行くものがある、向うの樫の木の下に乳母さんが小供をつれてロハ台に腰をかけてさっきからしきりに感服して見ている、何を感服しているのか分らない、おおかた流汗淋漓大童となって自転車と奮闘しつつある健気な様子に見とれているのだろう、天涯この好知己を得る以上は向脛の二三カ所を擦りむいたって惜しくはないという気になる、「もう一遍頼むよ、もっと強く押してくれたまえ、なにまた落ちる? 落ちたって僕の身体だよ」と降参人たる資格を忘れてしきりに汗気を吹いている、すると出し抜に後ろから Sir ! と呼んだものがある、はてな滅多な異人に近づきはないはずだがとふり返ると、ちょっと人を狼狽せしむるに足る的の大巡査がヌーッと立っている、こちらはこんな人に近づきではないが先方ではこのポット出のチンチクリンの田舎者に近づかざるべからざる理由があってまさに近づいたものと見える、その理由に曰くここは馬を乗る所で自転車に乗る所ではないから自転車を稽古するなら往来へ出てやらしゃい、オーライ謹んで命を領すと混淆式の答に博学の程度を見せてすぐさまこれを監督官に申出る、と監督官は降参人の今日の凹み加減充分とや思いけん、もう帰ろうじゃないかと云う、すなわち乗れざる自転車と手を携えて帰る、どうでしたと婆さんの問に敗余の意気をもらすらく車嘶いて白日暮れ耳鳴って秋気来るヘン
 忘月忘日例の自転車を抱いて坂の上に控えたる余は徐ろに眼を放って遥かあなたの下を見廻す、監督官の相図を待って一気にこの坂を馳け下りんとの野心あればなり、坂の長さ二丁余、傾斜の角度二十度ばかり、路幅十間を超えて人通多からず、左右はゆかしく住みなせる屋敷ばかりなり、東洋の名士が自転車から落る稽古をすると聞いて英政府が特に土木局に命じてこの道路を作らしめたかどうだかその辺はいまだに判然しないが、とにかく自転車用道路として申分のない場所である、余が監督官は巡査の小言に胆を冷したものか乃至はまた余の車を前へ突き出す労力を省くためか、昨日から人と車を天然自然ところがすべく特にこの地を相し得て余を連れだしたのである、
 人の通らない馬車のかよわない時機を見計ったる監督官はさあ今だ早く乗りたまえという、ただしこの乗るという字に註釈が入る、この字は吾ら両人の間にはいまだ普通の意味に用られていない、わがいわゆる乗るは彼らのいわゆる乗るにあらざるなり、鞍に尻をおろさざるなり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力学の原理に依頼して毫も人工を弄せざるの意なり、人をもよけず馬をも避けず水火をも辞せず驀地に前進するの義なり、去るほどにその格好たるやあたかも疝気持が初出に梯子乗を演ずるがごとく、吾ながら乗るという字を濫用してはおらぬかと危ぶむくらいなものである、されども乗るはついに乗るなり、乗らざるにあらざるなり、ともかくも人間が自転車に附着している也、しかも一気呵成に附着しているなり、この意味において乗るべく命ぜられたる余は、疾風のごとくに坂の上から転がり出す、すると不思議やな左の方の屋敷の内から拍手して吾が自転行を壮にしたいたずらものがある、妙だなと思う間もなく車はすでに坂の中腹へかかる、今度は大変な物に出逢った、女学生が五十人ばかり行列を整えて向からやってくる、こうなってはいくら女の手前だからと言って気取る訳にもどうする訳にも行かん、両手は塞っている、腰は曲っている、右の足は空を蹴ている、下りようとしても車の方で聞かない、絶体絶命しようがないから自家独得の曲乗のままで女軍の傍をからくも通り抜ける。ほっと一息つく間もなく車はすでに坂を下りて平地にあり、けれども毫も留まる気色がない、しかのみならず向うの四ツ角に立ている巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かと思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす訳に行かない、自転車は我に無理情死を逼る勢でむやみに人道の方へ猛進する、とうとう車道から人道へ乗り上げそれでも止まらないで板塀へぶつかって逆戻をする事一間半、危くも巡査を去る三尺の距離でとまった。大分御骨が折れましょうと笑ながら査公が申された故、答えて曰くイエス、
 忘月忘日「……御調べになる時はブリチッシュ・ミュジーアムへ御出かけになりますか」「あすこへはあまり参りません、本へやたらにノートを書きつけたり棒を引いたりする癖があるものですから」「さよう、自分の本の方が自由に使えて善ですね、しかし私などは著作をしようと思うとあすこへ出かけます……」
「夏目さんは大変御勉強だそうですね」と細君が傍から口を開く「あまり勉強もしません、近頃は人から勧められて自転車を始めたものですから、朝から晩までそればかりやっています」「自転車は面白うござんすね、宅ではみんな乗りますよ、あなたもやはり遠乗をなさいましょう」遠乗をもって細君から擬せられた先生は実に普通の意味において乗るちょう事のいかなるものなるかをさえ解し得ざる男なり、ただ一種の曲解せられたる意味をもって坂の上から坂の下まで辛うじて乗り終せる男なり、遠乗の二字を承って心安からず思いしが、掛直を云うことが第二の天性とまで進化せる二十世紀の今日、この点にかけては一人前に通用する人物なれば、如才なく下のごとく返答をした「さよう遠乗というほどの事もまだしませんが、坂の上から下の方へ勢よく乗りおろす時なんかすこぶる愉快ですね」
 今まで沈黙を守っておった令嬢はこいつ少しは乗きるなと疳違をしたものと見えて「いつか夏目さんといっしょに皆でウィンブルドンへでも行ったらどうでしょう」と父君と母上に向って動議を提出する、父君と母上は一斉に余が顔を見る、余ここにおいてか少々尻こそばゆき状態に陥るのやむをえざるに至れり、さりながら妙齢なる美人より申し込まれたるこの果し状を真平御免蒙ると握りつぶす訳には行かない、いやしくも文明の教育を受けたる紳士が婦人に対する尊敬を失しては生涯の不面目だし、かつやこれでもかこれでもかと余が咽喉を扼しつつある二寸五分のハイカラの手前もある事だから、ことさらに平気と愉快を等分に加味した顔をして「それは面白いでしょうしかし……」「御勉強で御忙しいでしょうが今度の土曜ぐらいは御閑でいらっしゃいましょう」とだんだん切り込んでくる、余が「しかし……」の後には必ずしも多忙が来ると限っておらない、自分ながら何のための「しかし」だかまだ判然せざるうちにこう先を越されてはいよいよ「しかし」の納り場がなくなる、「しかしあまり人通りの多い所ではエー……アノーまだ練れませんから」とようやく一方の活路を開くや否や「いえ、あの辺の道路は実に閑静なものですよ」とすぐ通せん坊をされる、進退これきわまるとは啻に自転車の上のみにてはあらざりけり、と独りで感心をしている、感心したばかりでは埒があかないから、この際唯一の手段として「しかし」をもう一遍繰り返す「しかし……今度の土曜は天気でしょうか」旗幟の鮮明ならざること夥しい誰に聞いたって、そんな事が分るものか、さてもこの勝負男の方負とや見たりけん、審判官たる主人は仲裁乎として口を開いて曰く、日はきめんでもいずれそのうち私が自転車で御宅へ伺いましょう、そしていっしょに散歩でもしましょう、――サイクリストに向っていっしょに散歩でもしましょうとはこれいかに、彼は余を目してサイクリストたるの資格なきものと認定せるなり
 このうつくしき令嬢と「ウィンブルドン」に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった、日本派の俳諧師これを称して朦朧体という
 忘月忘日 数日来の手痛き経験と精緻なる思索とによって余は下の結論に到着した

自転車の鞍とペダルとは何も世間体を繕うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度びこれを握るときは人目を眩せしむるに足る目勇しき働きをなすものなり

 かく漆桶を抜くがごとく自転悟を開きたる余は今例の監督官及びその友なる貴公子某伯爵と共にを連ねて「クラパムコンモン」を横ぎり鉄道馬車の通う大通りへ曲らんとするところだと思いたまえ、余の車は両君の間に介在して操縦すでに自由ならず、ただ前へ出られるばかりと思いたまえ、しかるに出られべき一方口が突然塞ったと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭に右の方より不都合なる一輛の荷車が御免よとも何とも云わず傲然として我前を通ったのさ、今までの態度を維持すれば衝突するばかりだろう、余の主義として衝突はこちらが勝つ場合についてのみあえてするが、その他負色の見えすいたような衝突になるといつでも御免蒙るのが吾家伝来の憲法である、さるによってこの尨大なる荷車と老朽悲鳴をあげるほどの吾が自転車との衝突は、おやじの遺言としても避けねばならぬ、と云って左右へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような無礼な事は平民たる我々風情のすまじき事である、のみならず捕虜の分際として推参な所作と思わるべし、孝ならんと欲すれば礼ならず、礼ならんと欲すれば孝ならず、やむなくんば退却か落車の二あるのみと、ちょっとの間に相場がきまってしまった、この時事に臨んでかつて狼狽したる事なきわれつらつら思うよう、できさえすれば退却も満更でない、少なくとも落車に優ること万々なりといえども、悲夫逆艪の用意いまだ調わざる今日の時勢なれば、エー仕方がない思い切って落車にしろ、と両車の間に堂と落つ、折しも余を去る事二間ばかりのところに退屈そうに立っていた巡査――自転車の巡査におけるそれなお刺身のツマにおけるがごときか、何ぞそれ引き合に出るのはなはだしき――このツマ的巡査が声を揚げてアハ、アハ、アハ、と三度笑った。その笑い方苦笑にあらず、冷笑にあらず、微笑にあらず、カンラカラカラ笑にあらず、全くの作り笑なり、人から頼まれてする依托笑なり、この依托笑をするためにこの巡査はシックスペンスを得たか、ワン・シリングを得たか、遺憾ながらこれを考究する暇がなかった、
 へんツマ巡査などが笑ったってとすぐさま御両君の後を慕って馳け出す、これが巡公でなくって先日の御娘さんだったらやはりすぐさま馳け出されるかどうだかの問題はいざとならなければ解釈がつかないから質問しない方がいいとして先へ進む、さて両君はこの辺の地理不案内なりとの口実をもって覚束なき余に先導たるべしとの厳命を伝えた、しかるに案内には詳しいが自転車には毫も詳しくないから、行こうと思う方へは行かないで曲り角へくるとただ曲りやすい方へ曲ってしまう、ここにおいてか同じ所へ何返も出て来る、始めの内は何とかかんとかごまかしていたが、そうは持ち切れるものでない、今度は違った方へ行こうとの御意である、よろしいと口には云ったようなものの、ままにならぬは浮世の習、容易にそっちの方角へ曲らない、道幅三分の二も来た頃、やっとの思でハンドルをギューッと捩ったら、自転車は九十度の角度を一どきに廻ってしまった、その急廻転のために思いがけなき功名を博し得たと云う御話しは、明日の前講になかという価値もないから、すぐ話してしまう、この時まで気がつかなかったがこの急劇なる方向転換の刹那に余と同じ方角へ向けて余に尾行して来た一人のサイクリストがあった、ところがこの不意撃に驚いて車をかわす暇もなくもろくも余の傍で転がり落ちた、後で聞けば、四ツ角を曲る時にはベルを鳴すか片手をあげるか一通りの挨拶をするのが礼だそうだが、落天の奇想を好む余はさような月並主義を採らない、いわんやベルを鳴したり手を挙げたり、そんな面倒な事をする余裕はこの際少しもなきにおいてをやだ、ここにおいてかこのダンマリ転換を遂行するのも余にとっては万やむをえざるに出たもので、余のあとにくっついて来た男が吃驚して落車したのもまた無理のないところである、双方共無理のないところであるから不思議はない、当然の事であるが、西洋人の論理はこれほどまで発達しておらんと見えて、彼の落ち人大に逆鱗の体で、チンチンチャイナマンと余を罵った、罵られたる余は一矢酬ゆるはずであるが、そこは大悠なる豪傑の本性をあらわして、御気の毒だねの一言を遺してふり向もせずに曲って行く、実はふり向こうとするうちに車が通り過ぎたのである、「御気の毒だね」よりほかの語が出て来なかったのである、正直なる余は苟且にも豪傑など云う、一種の曲者と間違らるるを恐れて、ここにゆっくり弁解しておくなり、万一余を豪傑だなどと買被って失敬な挙動あるにおいては七生まで祟るかも知れない、
 忘月忘日 人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーしく構えて、バタシー公園へと急ぐ、公園はすこぶる閑静だが、その手前三丁ばかりのところが非常の雑沓な通りで、初学者たる余にとっては難透難徹の難関である、今しも余の自転車は「ラヴェンダー」坂を無難に通り抜けて、この四通八達の中央へと乗り出す、向うに鉄道馬車が一台こちらを向いて休んでいる、その右側に非常に大なる荷車が向うむきに休んでいる、その間約四尺ばかり、余はこの四尺の間をすり抜けるべく車を走らしたのである、余が車の前輪が馬車馬の前足と並んだ時、すなわち余の身体が鉄道馬車と荷車との間に這入りかけた時、一台の自転車が疾風のごとく向から割り込んで来た、かようなとっさの際には命が大事だから退却にしようか落車にしようかなどの分別は、さすがの吾輩にも出なかったと見えて、おやと思ったら身体はもう落ちておった、落方が少々まずかったので、落る時左の手でしたたか馬の太腹を叩いて、からくも四這の不体裁を免がれた、やれうれしやと思う間もなく鉄道馬車は前進し始める、馬は驚ろいて吾輩の自転車を蹴飛す、相手の自転車は何喰わぬ顔ですうと抜けて行く、間の抜さ加減は尋常一様にあらず、この時派出やかなるギグに乗って後ろから馳け来りたる一個の紳士、策を揚げざまに余が方を顧みて曰く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には自転車に乗せて殺してしまうのがあるのかしらん英国は険呑な所だと

        *          *          *

 余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむき、或る時は立木に突き当って生爪を剥がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり、元来この二十貫目の婆さんはむやみに人を馬鹿にする婆さんにして、この婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、その妹の十一貫目の婆さんは、瞬きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目の間に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責に逢てより以来、余が猜疑心はますます深くなり、余が継子根性は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって黄色な活動晴雨計であった、たまたマ降参を申し込んで贏し得たるところ若干ぞと問えば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食いしに過ぎず、さればこの降参は我に益なくして彼に損ありしものと思惟す、無残なるかな、



 漱石は夫婦と娘の家庭での食事の席で、サイクリングに誘われる。最初は夫婦に、そして途中から娘が彼をサイクリングに誘う。漱石は自転車をうまく乗れない。かとその事実をそのまま伝えることはできない。この心情はいつの時代どの国の男でも同じである。「しかし」「しかし」「しかし」と、自分の不様さを見せずに済む言い訳を次から次へと繰り出して引っ込める。『この美しき令嬢と「ウィンブルドン」に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった、日本派の俳諧師これを称して朦朧体という。』、後で”モウロウ”としたばかりではなく、その場でも”モウロウ”する漱石の姿を見かねて夫が、結局は誘い舟を出して、このときは”令嬢とウィンブルドン”へ行けなかったのである。 

 漱石の不様さを見て、令嬢がどのような反応をしたのか? 知りたかったところである。もしやすると、遠い異国の、黄色い人の一生懸命さに同情し、恋が芽生えたかも知れない!  漱石の、自転車の曲乗奮闘振りを笑うわけにはいかない。徳川時代には割り算は高等数学であり、割り算のできるような女の子は生意気で嫁の貰い手がなかった。これが明治時代に入ると、割り算は高等数学ではなくなり、三角関数がその座についた。  

 一高の『デカンショ節』には「理科の頭を叩いてみれば、サイン、コサインの音がする。分科の頭を叩いてみれば、デカルト、カントの音がする」とある。三角関数はデカルトやカントに匹敵するほどの難しさだったのだ。しかし、この三角関数、昭和初期には中学生程度で誰にもわかるようものとなった。そして高等数学の座についたのは、微分・積分である。『微かに分かって、分かった積もりになる学問』と言われたが、戦後になるや高校生でも容易く理解できるようものとなった。 

 自転車への対応も似ているだろう。今では自転車は、主婦でも子どもを一人二人乗せて、悠々と漕げるものとなっている。自転車は今や、万人の遊ぶ道具…そして今は自転車で遊ぶに季節である。 

 自転車レースやイベントなども数多くある。そして自転車は乗るものから、考え活用する乗り物となっている。『エコサイクル・マイレージ』という言葉も生まれている。

 環境・健康・交通・経済にやさしい自転車活用が温暖化防止や健康増進にどれだけ貢献しているかを「数値」であらわす世界初の試みである⇒《CyclistNavi》自転車レース&イベント検索

出会えば兄弟、あなたは「御ヤクザ」!

            5


 ヤクザ、特にチンピラなどの得意芸「因縁をつける」も、「オキナワデワ~、”いちゃれば、ちょーれい”とイイマ~ス」であるらしい。風変わりな習俗である。
 地域のオバサン連中が「なぜ、私たちを嫌っているのか!」と言う。その人たちは何らの人間関係もない。その人たちに興味もなければ、こちらに関心を持たせるようなことを持っている人たちでもない。「好いている、嫌っている」とはその人間に私が何らかの意識があるということだ。それが全くないのだら、「なぜ、嫌っているの」と直接聞かれれば「あなたは気違いじゃないの。病院で見てもらえば」と言うしかない。
 またそのオバサンを含めた自治会会員の主張によれば、「私の自由意思を妨害している」或いは「私に自分の意思を強制している」ようなのである。吉本隆明がかつて沖縄社会を指して『共同体幻想』という本を出した。まさにその通りだろう。幻覚幻聴をウィニー(共有)して生きているのだろう
「出会えば兄弟」とばかり、礼儀を何一つ身に着けず、またその身に着けさせず「島弁慶」の如く生きる。それは勝手だけど、またこういう人が島の全てではないが、その「なぜ、嫌っているの」連中は、私が接触したくなるような連中ではないというに過ぎない。沖縄島の住民は「因縁をつける」が立派な伝統文化になり得る。またそれを煽てる東京の左翼知識人にも「チョー、ムカツク」。東大教授・上野千鶴子の云う「選択縁」で生きてるんでゴザンショ! 

 教授の教示を仰ぐまでもなく、私は以前からそうだった。私の言葉で言えば「自分が関係を持つ人と関係を持つようにしている」「政治家ではないから血縁地縁の清き一票などには興味もなければ、オベッチャラ島政治家とは違い、それなしにもやっていけます」でしかないのだ


超法規・超倫理への男の闘い Ψ  ≪灰夜―新宿鮫〈7〉≫大沢 在昌

著者: 大沢 在昌
タイトル: 灰夜―新宿鮫〈7〉

 我々は法律で守られている。否、それは正確な言い方ではない。建前の上で我々は法律で守られる存在であるとする国に住んでいる。建前でもそうありつづけてもらいたい。だがこれを拒否する世代が「平和世代」等と自称する70年代青春派、55歳前後の世代である。
 この世代以降の受けた教育は「平等の立場に立つ無条件の話し合い」である。そのことは「強者や優者の否定」でもある。同時に「弱者の権利の保障」でもあり、最終的にそれによってもたらされる「結果の平等の追求」である。そしてこれらの前提とされるものが「無条件の話し合いに基づく合意」であることを当然とする。これが何としても排除しなければならないのは「弱い者苛め」乃至は「弱い者苛め」と見られる現象である。従ってこの世代の対外的平和感覚は常に、「弱い者苛めをやめろ~」であり、そうならないと自己嫌悪に陥って、それで御仕舞いである。
 またこのことから、この世代を中心に「売春」は必要悪として右肩上がりである。その娘または孫の代の売春などは、この世代の教育の結果でしかない。売春主婦や売春少女の論理とは、前提なしの無条件の話し合いに基づく合意が絶対であり、それを外部から拘束する法的・倫理模範は一切認めないである。つまりマスコミの主張通りに「政府はまず話し合え」「”ぬちどぅたから”であって「談合により社員の生活を守る」等であり、これは超法規的・超倫理的な「話し合い」が絶対的な「義」で、これに干渉する権利は誰にもないということだ。
 この世代以降の受けた「結果の平等の追求」はそれれを招来することはなく、逆に排除を生み出す。このことは最近、官僚社会や公務員社会に顕著に現れている。つまり成員間の完全な平等を指向すれば、能力に応じた収入の格差を認めるわけにはいかない。そのためこれを能力の平均した人間で構成しなけらばならず、その水準を維持しないとこの社会は崩壊してしまう。そのため結果の平等を保障する代わりに、不適格者は除名されるという結果にならざるを得ない。これは現在公立学校などで、研修と称する美名を隠れ蓑にした「教員として不適格」とする結果の平等を維持する手法として現れている。
 官僚であれ、公務員であれ、教員であれ、これらが全員の話し合いで行われ、つまり彼らのみお話し合いで行われ、これのみが絶対とされ、それを外的に規制する法がない、ないしはマスコミの主張である「話し合い」絶対で法を無視してよろしいであるから、彼らは法によって自らを守ることは不可能である。もっともこれは官僚・公務員・教員のような任意加入集団だから、それで良いではないかとも言える。しかし我々が日本と言う国にあるのは任意加入す勇断としてではない。
 この状態における「話し合い絶対」による「結果の平等」指向が排除の論理を生み出せば大変なことになる。


 鮫島警部は我々に「そういう社会になってはいけない」ということを、我が身をもって教えてくれる。  
 長編刑事小説「新宿鮫」は、同シリーズ4作目の『無間人形』での直木賞受賞をはじめ、ハードボイルド作家としての大沢在昌の地位を確立した。
 元キャリアの鮫島警部が国際都市新宿を舞台に蔓延る悪と孤軍奮闘するさまを、力強く描いた人気シリーズだ。
 この(7)、実はシリーズの8作目なのだが、先に毎日新聞社から発刊された『新宿鮫・風化水脈』よりも事件発生が前に設定されている。そのため「新宿7」となった。
 本作“鮫”は、異色だ。まず、舞台が新宿ではない。会話の中に盛り込まれた土地の方言が、前作までにはない郷土色を出しており、新鮮である。
 また、恋人の晶や桃井課長ら、お馴染みの脇役たちは登場しない。代わりに、“新宿鮫”誕生の経緯が回想の形で表されている。
 これによって、シリーズを通読していなくとも、つまりこの巻7から読み始めても、十分に楽しめる内容になっている。
 一方、シリーズに一貫して描かれている、腐敗した警察組織への、理不尽な暴力への、金のためだけに生きる犯罪者たちへの、鮫島の怒りは、心のどこかで「勧善懲悪」を願う我々の想いをいつもどおりにすくい上げてくれる。


 物語は元同僚・宮本の自殺から6年に設定されている。
 彼の郷里で行われる7回忌法要に参列するため、鮫島は東京を発った。しかし、宮本の旧友・古山と酒を酌み交わした。その鮫島に、麻薬取締官・寺沢が接触する。ある特殊な覚せい剤密輸ルートの件で古山を捜査中だという。深夜、寺沢の連絡を待つ鮫島は突然の襲撃を受け、拉致監禁される。…無気味な巨漢の脅迫…
冷たい闇の底、目覚めた檻の中で、鮫島の孤独な戦いは始まる。
 古山の計らいで解放される。だが、身代わりに古山が監禁される。麻薬取締官寺沢は行方不明に…暴力団、北朝鮮工作員等、背後に蠢く巨大な影……”理不尽な暴力で圧倒する凶悪な敵”…”警察すら頼れぬ見知らぬ街”…”底知れぬ力の影が交錯する最悪の状況下”……鮫島の熱い怒りが弾ける。
 頼れる者のない見知らぬ土地で、一晩語り合っただけの人物を救うべく、熱き男は奔走する。
 

 大沢在昌は編集者に恵まれた作家の一人である。
 彼は23歳、≪感傷の街角≫で第一回小説推理新人賞を受賞しデビューした。その後も力作を発表したが、商業的ヒット作を生み出せなかった。90年に≪新宿鮫≫を発表し、翌年その≪新宿鮫≫で日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞をダブル受賞した。93年には≪無間人形≫で直木賞を受賞した。
 ≪新宿鮫≫までの作品は10作を超える。これだけ出版してヒット作がなければ、出版業界からは”サヨナラ”を宣告されて不思議でない。出版しつづけられたのは。彼の才能を信じた編集者がいたからである。



≪テロリストのパラソル≫の作者、藤原伊織さん、月刊誌で癌を公表

著者: 藤原 伊織
タイトル: テロリストのパラソル

 アル中バーテンダーの島村は、過去を隠し20年以上もひっそりと暮らしてきたが、新宿中央公園の爆弾テロに遭遇してから生活が急転する。ヤクザの浅井、爆発で死んだ昔の恋人の娘・塔子らが次々と店を訪れた。知らぬ間に巻き込まれ犯人を捜すことになった男が見た事実とは……。
 史上初の第41回江戸川乱歩賞・第114回直木賞受賞作である。

 著者の藤原伊織さん(57)が食道癌と告知されたことを小説誌「オール読物」6月号(文芸春秋)で明らかにした。
 「癌発症始末」と題した寄稿によると、今年2月中旬に食道癌と診断され、断続的に入院し、放射線治療などを受けた。
「5年生存率でいうと、20パーセント見当の進行具合らしい」という。癌を公表したのは、説明や不義理を省略したいためで、「カミングアウトというほどのものではない」としている。

 癌の進行の緩やかなことを祈っている。 




≪空中庭園≫角田光代 ∑ 人が人と付き合えるか否かは相性が良いか悪いかだけ!  

        
著者: 角田 光代
タイトル: 空中庭園
 
 人間関係に固定した法則は発見できるのだろうか。もし、固定した人間関係の法則などというものがあれば、この社会、これほど楽で、しかし退屈で、永遠にドラマのない、まるで天国でありしかし地獄であり、和気あいあいでありながらどこかに「このままずっとなの」と不安定要素を持ち込みたくもなり…
 相性が良いから一緒になった、相性が悪いから上手くいかない、この二つだけが人と人とが付き合っていけるか否かの大きな力なのだが、それがどうして生じるのかは今だ神秘のまま、テニスンの言葉を借りれば『人間性の底知れない深み』の遥か奥底に未だに発見されずにある!  
 角田光代の≪空中庭園≫は、その奥底を「チラッと、垣間見せた」作品である。
〔郊外のダンチで暮らす京橋家のモットーは「何ごともつつみかくさず」……でも、本当はみんなが秘密をもっていて…。ひとりひとりが閉ざす透明なドアから見た風景を描く連作家族小説〕
〔目次〕
 ラブリー・ホーム
 チョロQ
 空中庭園
 キルト
 鍵つきドア
 光の、闇の
〔著者略歴〕
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞、
96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、
98年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、
「キッドナップ・ツアー」で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、
2000年路傍の石文学賞を受賞
4-19  「空中庭園」小泉今日子  
 この、人間関係に固定した法則を発見することの難しさを、家族という舞台を通して描いた作品が、今度映画になる。
  「力のある映画です」 、こう言い切るのは女優・小泉今日子。
「自分が出演している映画を見ると、いつもはアラを探すのに、出ていることが気にならない。そんな気持ちになったことにびっくりした。力のある映画です」
 小泉は 黒のワンピース姿で舞台あいさつに臨んだ。
 相米慎二監督の遺作となった「風花」(00年)以来の映画主演である。その間、意識的に脇役を経験し、03年にはWOWOWの主演ドラマ「センセイの鞄」で芸術選奨・文部科学大臣新人賞などを受賞した。 
 彼女は、鈴木杏(17)、広田雅裕(16)の母親という設定。「経験がないので不安だったけれど、広田君と杏ちゃんがすごくかわいい子になってくれた」「監督の現場はピリッとした緊張感が好き。ぜひ楽しんでほしい」 
 今秋公開予定!

叫びは”荒い証明”かもしれない≪いつか読書する日≫

          5-22 いつか読書する日  

 最初で最後の大人の恋。いつか読書する日 は、田中裕子、岸部一徳らが出演の恋愛映画、6月公開。

 坂道の多い小さな町。まだ薄暗い夜明け、牛乳瓶の詰まった鞄を背負って、今日も彼女は家々のあいだをひた走る。大場美奈子。50才、独身。朝は牛乳配達、昼はスーパーで働き、日々を暮らしている。
 毎夜ひとりのベッドでする読書。頁をめくるかすかな音が、ひっそりとした家にこだまする。静かな生活。ただひとつ、胸の奥のあの人を忘れることが出来たなら。

 同じ町の市役所に勤務する高梨槐多は、毎朝近付いて来る牛乳瓶の澄んだ音に、じっと耳を傾けている。遠ざかる彼女の足音。隣には病気の妻・容子が眠っている。槐多はざわめく心を押し殺して、再び目を閉じる。

 誰よりも大切な人。けれど、触れ合うことはおろか、目を合わせることもできずに、美奈子と槐多は、幼い恋を胸に秘めたまま、30年以上の時間を別々に生きて来たのだ。
 ある日容子は、夫の昔の恋人が美奈子だったと知る。牛乳を飲まない夫が配達を頼んでいる…。その瞬間、ふいに輪郭をあらわす古い過去。まもなく死んでゆく私が、妻として、最後に夫に出来ること。やがて容子は、すがるような思いで、ある“願い”を美奈子に託す。私が死んだら、どうか夫と一緒になって欲しい…。

 沸き上がる熱い想いが、美奈子の心をきつく締めつける。何かが始まってしまう。
槐多は突き動かされるように美奈子を抱き締めた。

「いままでしたかったこと、全部して…。」

 溢れ出す切なさが、二人を飲み込んでゆく。ずっとずっと、あなたに触れたかった。震える指。物語は瞬く間にほどかれてゆく。最後の頁が閉じられるそのときまで…。誰もが心に秘める、忘れることのできない大切な人。もしその人と触れ合うことが出来たなら、何日あってもきっと足りない。だって、長い長い間、あなただけを想って来たのだから。

 2000年、『独立少年合唱団』でベルリン国際映画祭新人監督賞を日本人として初めて受賞した緒方明監督が、脚本に再び青木研次を迎え共に描いたのは、中年男女の不器用な恋だった。
 出演は、少女時代の恋を忘れることが出来ず、50才になっても独身のままでいる主人公、大場美奈子に、田中裕子。密かな想いを胸に秘め、強い表情の下に途方もない孤独と戸惑いを隠す美奈子を、時折見せるはっとするほどの美しさで、見事に演じ切っている。
 また、美奈子への愛を穏やかな暮らしの中に必死で押し込める高梨槐多に、岸部一徳。深い想いを顔に出さず、淡々と病気の妻を看護する優しい夫の姿は、時に色気さえも感じさせる。更に、高梨槐多の妻・容子に、女優として復帰後は、本格的な映画出演は本作が初となる、仁科亜季子。自分の死後、別の女性へ夫を託す複雑な役を、美奈子とは対照的なはかなく柔らかい透明感で、演じている。
 薄青い夜明けの町、なだらかな坂道、牛乳瓶の澄んだ音、ほんの一瞬だけ交差する二人の視線…。端正な映像と美しい音楽が綴る、ぎこちなくて大切な、最初で最後の大人の恋。


過ぎ去りし日、中学校の教室で、大場美奈子の作文が読み上げられる。
「……お兄さんやお姉さんたちはこの町を出て行くけれど、私は出ていかない。一生この町で生きていく……」
 時は流れ、モザイクタイルのように山肌に家々が張りつく、まだ夜の明けきらない町。坂道を古びた自転車で走る女性。50歳になった大場美奈子だ。牛乳販売店に着くと、店主と一緒に軽トラックに牛乳を積み込み、出発。ある地点で美奈子は降り、ズック袋に牛乳を入れ、坂道を登る。玄関先の牛乳箱を開け、空き瓶を取り出し、新しい牛乳瓶を入れる。
 独身の美奈子は、牛乳配達を終えるとスーパーに出勤してレジを打つ。夜は本がたくさん詰まった家でひとり過ごす。そんな美奈子を見守っているのは、亡き母親の友人だった皆川敏子だ。敏子は痴呆症にかかった夫の真男を介護しながら小説を書いている。毎朝、美奈子は敏子の家にも牛乳を配達する。
 美奈子は、中学の同級生だった高梨槐多の家にも牛乳を届ける。市役所の福祉課に勤務する槐多は、末期癌の妻、容子を自宅で看病している。かつて高校時代、美奈子と槐多は付き合っていたのだが、美奈子の母親と槐多の父親が自転車に2人乗りして交通事故に遭い亡くなったことから、疎遠になってしまった。だが美奈子はずっと槐多への思いを胸に抱きつづけてきたのだ。
 その思いを美奈子はラジオのDJに匿名で書き綴る。
「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に知られてはならないのです」